毎日暑くてぼーっとしますね。
ぼけっとして交通事故に合わないよう気をつけたいものです。
交通事故にいつ遭うかわからないですが、人は亡くなる直前に「走馬灯のようにそれまで過ごしてきた生涯の記憶が浮かぶ」らしいです。本当でしょうか?
そもそも「走馬灯のように」といいますが、走馬灯がなんなのかすぐ答えられる人ってどのぐらいいるんでしょう?
素朴な疑問ですが、気になりますね。
「走馬灯のように」の走馬灯とはなんなのか、今回はその話です。
そこには夏の風物詩が広がっていました。
走馬灯とは回転灯籠のこと
まず走馬灯とはなんなのでしょうか。わかりやすくいうと、お盆になると飾るとあるものが由来でした。
お盆の時に飾る”回転灯籠”。これが走馬灯です。”回り灯籠”や”廻り灯籠”や”影灯籠”などとも呼びますが、すべて同じです。
最近は簡易的で火の代わりに電気が使われたものが一般的ですが、火を使ったものをつくることもできます。
どちらの回転灯籠も二重構造になっています。
回転灯篭の仕組み
まずろうそくや電灯を収めて、その周りに影絵が切り抜きされた円柱があります。
その外側に、紙もしくは布でできた円柱か角柱の枠を作って、影絵を投影します。
影絵を張った内側の円柱は天に風車がついていて、蝋燭や電灯で暖められた空気が通ることによって上昇気流が起こります。それで内側の円柱が回転して、光に投影された影絵が外枠にくるくる回りながら投影するのが見えるという灯籠です。
ゆっくり回ります。ひとりでに絵が回るので、綺麗な絵が動く不思議な灯籠という印象ですね。
走馬灯のように記憶が巡るという意味
回転灯籠は空気と熱の自然な力を利用してゆっくり回りますが、円柱なので影絵がつながっています。
一巡して絵柄が流れていくので、記憶が巡るさまが「走馬灯のように」といわれるのもわかる気がします。
記憶が次々と前で一つながりに蘇って、回転灯籠で流れていく影絵のようにどんどん見えていく状態が「走馬灯のように記憶が巡る」と呼ばれるようになりました。
人は亡くなる直前に、走馬灯のようにそれまでの生涯の記憶が蘇るらしいですが、それを見たことがある人はそう多くはありません。
病気や老衰で緩やかに亡くなった人は「走馬灯のように目に記憶が映った」と認識できないからです。まず意識がなくなったら「走馬灯を見た」という証言もできません。
「走馬灯のように」記憶が走るのは、事故に遭うなど、不意に死にそうになる瞬間に遭遇したときです。
急な事故に遭ったときすべてで、走馬灯のように記憶がよみがえるわけでもありません。
しかし「走馬灯のように」というのは、きれいで幻想的な光景が目に浮かぶようですね。
見た人が少ないのに「走馬灯のように生涯の記憶が蘇る」といわれるのは「人間の人生がきれいで幻想的なものであってほしい。最後には生涯のきれいな記憶を思い出して死にたい」という希望があるからかもしれません。
まとめ
1.走馬灯とは回転灯籠のことで、回り灯籠や廻り灯籠や影灯籠などともいう。
2.走馬灯のように記憶が巡るといわれるのは、最後にきれいな記憶を思い出して死にたいと多くの人が思っているから。
回転灯籠のようにきれいで幻想的な生涯を送りたいですね。
毎日を大切に過ごしたいです。