時代劇や映画の中に登場してくる武士の姿。俳優らが武士を演じている様を見ると、時代を超えて武士ってこんなにかっこいいものだったのかなと想像してしまいます。 とはいえ、普通の生活の中で武士のようなちょんまげスタイルにしようとは思わないもの。
武士が武士特有のちょんまげスタイルにしたことに理由はあるのでしょうか?漠然と感じた悩みを解決するために、武士のちょんまげスタイルについてご紹介していきたいと思います。
武士とは?
今では武士の姿は、芝居の中や武士のコスプレをしている人しか見ることができませんが、武士ってどういう人だったのでしょうか。武士は、10~19世紀に日本で登場しました。武士は、元々武士という立場だった訳ではなく、元々農民だった人が武士になりました。
農民の土地に対して厳しい国
武士が生まれる前の日本には、国が農民の土地を厳しく管理する法律がいくつかありました。例えば、701年に公布された「大宝律令」は、全ての国民と土地は、天皇と国家のものという法律です。
そして、その法律の中には、「班田収受の法」というものがあり、天皇と国家が農民に口分田を分け与える代わりに、農民がその土地を耕作して収穫したもののうち、3%分を国に納めるという厳しい内容だったのです。
大事な土地を守るために武力もつ農民
農民が国から分け与えられた土地を「荘園」というのは、歴史で習ったと思います。国司という朝廷に任命された国の政務にあたる官吏である地方行政官がいたのですが、この国司は、朝廷に税金を納めれば何をしても自由という立場だったのです。
そのため、農民から多くの税金を徴収したり、農民から土地を奪うなど悪事を働いていました。農民が大切な土地を守るために武力をもったのが武士の始まりの一部だと言われています。(諸説あります)
武士の頭の意味とは
武士とはについて分かったところで、次は本題の武士の頭についてご紹介していきます。日本人としては、学校での勉強やメディアなどを通じて武士の姿を目にする機会がありますが、外国人から見た武士はかなり興味深いものに見えるようです。普段着で武士の頭をするとおかしく見えますが、袴姿で武士の頭をすると不思議と凛々しく見えるものです。
武士の頭には意味がある
武士の頭がちょんまげスタイルになったのは何故でしょうか?そもそもちょんまげとはどんな髪型なのでしょうか?ちょんまげは、漢字で書くと「丁髷」と書きます。あまり書く機会はないので、この漢字だけ見ると読めないかもしれませんね。
ちょんまげの由来は、実は武士そのものではなく平安貴族にあったのです。中国からの影響があり、貴族の間でベレー帽の様な形をした、後ろの部分が細長く立ち上がっている烏帽子(えぼし)や冠をかぶる文化が広がっていきました。
武士の頭は蒸れ対策から生まれた
夏の暑い日には日よけ対策で帽子をかぶることってありますよね。その時、汗で頭が蒸れてしまうことはありませんか?当時、貴族がかぶっていた烏帽子は。漆を使って形を作っていたので、貴族の頭は蒸れて大変だったようです。
蒸れ対策をするために、髪を一つに束ねる「髻(もとどり)」というスタイルが生まれました。元々は、烏帽子をかぶる際の蒸れ対策として生まれた貴族の髪型でしたが、これが段々と武士にも広がっていったのです。
戦う武士にかかせない頭のスタイル
武士といえば、ひとたび戦いが始まれば、長い間各地で戦いを繰り広げるものです。戦いの時、武士の頭を守るために兜をかぶりますよね。兜は通気性が良いものではないのですし、かぶった状態で動き回っているので、頭は汗をかき、非常に蒸れた状態になってしまうのです。
結ぶだけではなく、剃ってみる
後ろで髪を結ぶだけでは頭の蒸れを防ぐことは出来ないため、頭の前から頭のてっぺんにかけて剃るアイディアが生まれました。これは、月代(サカヤキ)と呼ばれ、平安時代から始まり、戦国時代にはこのスタイルが武士の間で定着したといわれています。
時代を経て、丁髷が生まれる
武士がいつも月代の頭をしていたかというとそうではありません。これはあくまでも、戦いの時に兜をかぶる時用の頭でした。時は流れ、江戸時代になると戦いはなくなり平和な世の中になりました。
戦いがなければ髪を伸ばし放題だった武士のスタイルは清潔感がなく嫌われてきます。そして、後に髷の部分を結うスタイルが生まれ、丁髷のスタイルとなったのです。
まとめ
武士の頭のルーツは、平安貴族にあった
ちょんまげの原型は、戦いの時に兜で頭が蒸れることから生まれた
江戸時代になると、武士は普段でもちょんまげスタイルだった