「武士の情けで許して…」語源と意味を分かりやすく解説

武士の情けをかけずに人を切り捨てる武士学校

以前、ある県の知事が自ら起こした不祥事の会見で、「武士の情けで許して…」と発言していたことは記憶に新しいかもしれません。このような発言をするということは、その知事は、実は武士だったのでしょうか?

これは軽い冗談ですが、この場面において「武士の情けで許して…」という発言は正しかったのでしょうか?この会見で気になったので、今でも時々耳にする「武士の情け」の意味について調べてご紹介していきたいと思います。

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武士の情けの語源と意味

本来非情である武士が同じ立場の武士に対してかけてあげる最後の情けのこと。

武士が非情というと意外に感じるかもしれませんが、戦争が始まれば武士には戦う義務があるため、無条件に相手を殺さなければなりません。

時代劇ではよく見る場面ですが、場合によっては相手を追い詰め、切腹となるケースもありますよね。そういう時、武士は同じ武士の相手に最後の憐みとして情けをかけてあげるのです。例えばそれは、相手の武士の最期の言葉を家族に届けてあげたり、楽に死ねるように止めを刺すということです。

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武士の情けの使い方は

「武士の情け」の意味はお分かり頂けたでしょうか?本来の意味を知ると、先でご紹介したような自分で起こした不祥事の会見で発する言葉でないことがお分かり頂けると思います。様々な時代背景から生まれた言葉の意味は大切にして、使う時は適格に使いたいものです。

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武士とは

後ろから命を狙われている武士

学校の日本史の時間では、必ずと言っていいほど武士が登場する時代について学びましたよね。それにもかかわらず、武士の意味についてしっかりと説明できる方は意外と少ないと思います。

人によってはもしかすると、武士については勉強で学んだことより、時代劇や映画で目にする機会が多いかもしれません。武士については、日本人以上に外国人の興味を引いているのです。武士独特のいで立ちだけでなく、外国にはない精神についても注目されているのです。

武士とは「さぶろう者」

武士と聞くと、侍のことを思い浮かべるかもしれません。武士と侍は同じ意味で、貴族に仕える者=「さぶろう者」として、貴族の屋敷を守るなど今でいうボディーガードの様な役割を担っていました。当時は貴族が中心となる時代で、意外にも武士の身分は低かったのです。

武士が登場した背景

今は存在していない武士という立場の人。この武士は、いつ頃、どのような理由で登場したのでしょうか。武士は、1019世紀に日本で生まれ、明治維新で消滅しています。武士は、元々武士だった訳ではなく、元々は農民だったのです。

農民が土地を守るために武力をもった

日本に古くから色々な法律があったことはご存じだと思います。701年には、「大宝律令」が公布されました。この法律は、全ての国民と土地は、天皇と国家のものという法律ですが、その中には「班田収授の法」がありました。この法律は、「口分田を分け与える代わりら、そこを耕作して収穫したものから3%分を国に納める」という厳しい内容でした。

その後も、723年に土地を開墾したらその後の3代に渡って土地の私有を認める「三世一身の法」が公布されました。また、743年には、長きに渡って利用できる土地を農民に奪われないように武装して守るために、「墾田永年私財法」が公布されたのです。

国から分け与えられた土地のことを「荘園」といいます。この荘園は、国司という地方行政官がその立場を不正に利用して、農民から多くの税を徴収したり、土地を奪うことが多発していました。土地を守るために農民が武装したのが武士の起源ともいわれているのです。(諸説あり)

力をつけていく武士

武士は、身分さえ低かったものの、貴族がもっていない武力をもっていたため、戦争では武士が活躍しました。いくつもの戦争が起こる度に、武士は自分たちだけで問題を解決することができることに気づきました。武士が政治の中心になっていく流れができてきたのです。「鎌倉幕府」は、武士たちが自ら作った武士の政権として有名です。

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まとめ

武士とは

  • さぶろう者
  • 元々は農民だった
  • 土地を守るために農民が武装したのが武士の起源(諸説あり)

武士の情けとは

  • 本来非情である武士が同じ立場の武士に対してかけてあげる最後の情け