宿題を終わらせるのにどれくらい時間がかかっているのでしょう。要領のいい子と悪い子では、差は当然あるでしょう。5分で終わる子もいれば毎日3~4時間もかかるという子がいるのには、驚きました。もちろん分量の違いはあるのでしょうけど。中には泣きながらやるとかいう小学生も。そんな嫌な事、辛いことを毎日やっている小・中学生がかわいそうになりました。
なぜそんな苦行僧のようなことをやらせる必要があるのかと疑問がわきます。
宿題をやらないと学習は成り立たないのか
宿題と言えば教室でできなかった課題を、宿題として生徒たちに課してしまう、または、初めから宿題ありきの前提での教室の授業の構成。という意識がぬぐいきれないのは私ばかりではないでしょう。
宿題をする積極的な意義として、次のようなことが言われます。
「勉強するという習慣をつける」
毎日決まった時間に勉強するから習慣になるというのですが、イヤイヤやるものが習慣化するはずはありません。
「知識の定着化」
その日の授業で得た知識を定着させるには、反復することが必要です。これは誰でも経験していることでうなずけます。
「自分で考える力の向上」
宿題をする時間などを考えることによって他の計画もたてられるというのでしょうが、別に宿題を媒介にしなくても良いようなものです。
「授業理解の深まりと確認」
授業だけでは理解できなかった事柄が、宿題に取り組むことで理解度が増すというのは、ある程度は理解できますが、これもやる気がなければあまり意味はありません。
宿題で学力は向上しないから本来はやらないでもいい
宿題はなくてはならないものなのでしょうか。宿題によって成績が向上しているなどという科学的根拠は見つかっていないそうです。むしろその弊害を指摘する論調が多いのも事実です。
弊害というのは、例えば今日は数学の勉強がしたいと思っていても、英語の宿題があればそちらに時間をとられ、計画していた数学の勉強ができなくなる。
もしくは勉強する時間が減ってしまいます。本人が望まない強制的な宿題という課題のせいで、勉強自体を嫌いになってしまう、学習への興味を失わせる影響もあります。これでは宿題は成績の向上につながるどころかむしろ勉強の妨げになってしまいます。
経済協力開発機構(OECD)が「学習到達度調査(PISA)」を公表しています。
その国際比較で、成績が上位の国は宿題の量が少なく、むしろ下位の国の方が宿題を多く出している傾向にあることがわかっています。
ただ、成績面を考えると宿題をやらないというのも考え物
宿題が学力を向上させないというのが分かったと思いますが、とはいっても…やらないと不利益もあります。
宿題は成績に直結しますもんね。
ここはジレンマですが、答えを写してでも一応提出するのが賢いように思います。
家庭教育はいかにあるべきか
教育基本法で家庭教育について規定しています。
家庭教育は家庭の責任で家庭の自主性が尊重されます。国や地方公共団体は家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対して家庭教育の支援を義務付けています。
宿題のかわりに具体的な家庭学習を提案して認めてもらったという、ある保護者の経験があります。なんとこの家庭のとりくみを現場の先生たちを前に、研修会を開くまでになったそうです。本来の宿題は担任の先生の手前上保護者がやっている(先生の許可の下)のだそうです。
すごいですね。家庭でどんな学習をさせているのでしょうか。興味がわきます。親と子供がよく話し合い興味のある事を楽しく学習しているのでしょうね。
いきづまった学校教育の答えがここにあるのかもしれません。本来の学習とはこういうものなのでしょうね。
まとめ
- 宿題を課する理由はいろいろあるけれど、説得的な理由はない
- 宿題によって成績が向上するという科学的根拠はない
- OECDの調査では「学習到達度調査(PISA)」の成績が上位の国は宿題の量が少なく、むしろ下位の国の方が宿題を多く出している
- 教育基本法にも規定されている家庭教育に学校教育の答えがあるのかもしれない
宿題をやらない子供たちを、いくら叱って勉強をさせようとしても無駄というものです。みなさんも子供のころにそんな親たちの言うことを、聞いたためしはありません。せいぜい「今やろうとしていたのに…」とうそぶくのが関の山です。
宿題を実のあるものに変えようという試みより、いっさいの宿題を廃止して、教室内での学習の基本的な完結と、家庭教育を含め保護者や地域住民における学校外での新しい取り組みなどが重要だと思います。