みなさんは蛙の子は蛙、瓜の蔓になすびはならぬということわざを知っていますか??蛙の子は蛙というのは馴染みのあることわざですが瓜の蔓になすびはならぬということわざはここで初めて目にする人もいるのではないでしょうか。
ここではそんな蛙の子は蛙、瓜の蔓になすびはならぬ、についてご説明していきます。
謙遜するときに使うのが、蛙の子は蛙の意味
まずは蛙の子は蛙ということわざについて。読み方は「かえるのこはかえる」です。蛙の子供って本来ならばおたまじゃくしですよね。ではなぜそれを昔の人は蛙の子は蛙と言ったのでしょう。
このことわざには、子供の頃に才能があるように見えても結局大人になったら親に似てしまう。つまり才能も結局は親に似てしまうのだから、凡人の子供は凡人にしかならないよ、という意味なのです。
なのでこのことわざは悪い意味で使われる言葉ですね。例文としては「蛙の子は蛙だから、あの人は出世しなそうだね。」とか「蛙の子は蛙なんだから、夢ばかり見ていないでしっかり働きなさい。」などです。
これを褒める意味で「さすが社長の子供ですね!蛙の子は蛙なんですね!」なんて言ってしまったら大きな間違え。気持ちはわかりますが社長は複雑な気持ちになってしまうでしょう。
蛙の子は蛙ということわざは、人を卑下するときにも使いますが、自分を謙遜するときにも使います。決して目上の人には使わないようにしましょう。
そして似たようなことわざには「血は争えない」「この親にしてこの子あり」「マムシの子はマムシ」などがあります。
「瓜の蔓になすびはならぬ」とその対義語
次に、瓜の蔓になすびはならぬということわざについて。読み方は「うりのつるになすびはならぬ」です。こちらも意味は先ほどと同じで、瓜のツルになすはできない、瓜のツルには瓜しかできないよ、ということなのです。
決して目上の人には使わずに、「瓜の蔓になすびはならぬで私も平凡な会社員ですよ。」や「あの人の子供はみんな瓜の蔓になすびはならぬで勉強ができない。」などと使います。
昔の人にとっては瓜よりもなすの方が希少価値が高かったのではないでしょうか。親の血が流れているので親とたいした差のない大人になるだろうと言われてしまうことは少し悲しいですが、確かに子供が親に似てしまうことは否定できないですよね。
しかしこんな絶望的なことわざだけではなく全くの逆の意味をもったことわざもちゃんと存在しているんです!「筍の親勝り」「鳶が鷹を生む」などは、平凡な親からすごい子供が産まれた!という嬉しいことわざです。
結局は自分の努力次第で道は変えられるということなのかもしれませんね。
蛙の子は蛙、瓜の蔓になすびはならぬと言われないように…
では蛙の子は蛙、瓜の蔓になすびはならぬなどと言われてしまわないように人生を送るためには一体何を努力したらいいのでしょうか。私は、才能というのはどんな人にも秘められていると思っています。
例えばピアノの才能があって産まれてきても、ピアノに触れなければ一生自分の才能に気づくことはありませんよね。こういった人たちが世の中にはゴマンといるのではないかと私は思うのです。
もしかしたらあなたは、他の人よりも味覚が鋭くてソムリエになる才能があったかもしれない。もしかしたらあなたは、手先が器用で有名なネイリストになれる可能性があったかもしれない。
どんなことでもいいんです。今からでも自分の才能を探してみてはどうでしょうか。自分の好きなこと、得意なことを見つけるためにはまずどんなことでもチャレンジしてみようという気持ちが重要です。
私も子供の頃、友達にむりやり習い事としてトランペットの先生のところに連れていかれて、突然に才能を発揮し先生たちを驚かせたことがありました。
興味をもったことにしか才能を発揮できるかどうかはわかりませんが、どんなことでもやってみたら意外に楽しかったりすることもあるので、そういったことを意識しているだけで蛙の子は蛙、瓜の蔓になすびはならぬ、なんて言われることはなくなるのではないでしょうか。
みなさんもこれらのことわざから今一度人生を振り返ってみてはどうですか??