学校の先生なんてのはただ教員免許を持っていて採用試験に受かっただけの人間なのでうざい先生もたくさんいます。
私の場合、中学校の「書道」の先生がひどいものでした。
授業は教師用の指導書と首っ引きで、板書はそれを写すのみ。
説明はしどろもどろ。生徒たちその時間を忍耐強く耐えました。というかほとんどの生徒は無視して内職や好きなことをしていました。まさに時間の無駄でしたね。
この記事では嫌われる先生の特徴や対処の仕方を考えてみました!
生徒に嫌われる先生とはどんな感じ
- 不潔な感じがする タバコ臭かったり、口臭がきつい
- 生徒に対して不遜な(偉そうな)態度をとる
- お気に入りの生徒をえこひいきする
- 教え方が下手 板書が汚い
が上位に上げられるようです
どれもこれもどうしようもない人たちですね。「教師の風上に置けない」と言っても良いでしょう。
「教え方が下手 板書が汚い」は、教師失格ですね。とはいうものの、これについては、訓練すれば上達するものですよね。教師の研修ではそんな技術的なことはしないのでしょうか。必要だと思うのですが。
「不潔な感じがする タバコ臭かったり、口臭がきつい」は、これも直せますね。ただし忠告する人がいればの話ですけどね。でも不潔な感じでも意外と人気があったりする教師もいます。これはなぜなんでしょう? きっと別なところに魅力があるのでしょう。
「偉そうな態度」「えこひいき」は、教師以前に人としての問題ですよね。
先生が「うざい」「嫌い」の心理
「あの先生がうざい」「嫌いな先生がいる」当たり前ですよね。人間ですから、好き嫌いがあるのは当たり前。でも学校生活や成績に影響が出れば、これはほっとけないですよね。
ここでちょっと「嫌い」と「うざい」の意味合いを考えてみました。「うざい」は「うざったい」の略語で「うっとうしい」「煩わしい」「不快だ」「気味が悪い」などという意味です。「嫌い」とは少しニュアンスが異なり、「生理的に受け付けられない」ということだと思います。漢語で言う「嫌悪感」とほぼ同義語と言えるでしょう。私は「うざい」より「嫌悪感」の方がなんとなくしっくりきますね。
「嫌い」というのはどうでしょうか。これは結構理性的な感情表現だと思います。つまり何かしら気に入らない具体的な理由があって沸き起こる感情です。嫌だと思う原因は人それぞれですから、どんな教師でもその教師を嫌っている生徒はいるはずです。教師は嫌われるものです。
「嫌いな教師」に対する生徒の態度としては、何かを聞かれても無視してそっぽを向いてしまうが少し気になる、って感じですかね。「うざい」教師には徹底無視の態度をとるでしょう。
「好き」と「嫌い」は、実は表裏一体?
ところで、「好き」と「嫌い」は、まったく正反対のことでしょうか。決してそうではないと思いますよ。「好き」と「嫌い」はどちらも無関心ではそういう感情は生まれてきません。関心があるからこそ生まれてくるのですね。
例えば、好きな人といっしょにいる時と嫌いな人といっしょにいる時を想像してください。好きな人にも嫌いな人にも気を使ったり、気になったりで、そわそわ、イライラと落ち着きがなくなります。まったく同じエネルギーを使っているのがわかります。
うざいなら、必要最低限の会話で済ませるのが良い
「うざい」のはどうしようもないです。必要最小限の会話のみで後は無視。それしかないでしょ。
うまくやるように生徒に求めるわけにはいかないです。教員集団の自浄作用に期待しましょう。
「嫌い」なのは「好き」にも変わるから要素も含んでいます。とにかく表面上は対応していくように努力すべきですね。その内に苦にならない関係に変わっていく可能性も大いにあると思います。
「嫌い」の感情は「好き」と同じで誰かを相手をしているから生まれる感情ですね。表裏一体で同じものです。ある意味「嫌いな人」というのは、結局自分の欠点を持っている人であることが多いようです。嫌いなのは、欠点の持つ自分じゃないでしょうか。自分を見つめ直しながら根気よくつきあっていきましょう。
まとめ
- 生徒に嫌われる教師はどうしようもない嫌悪感のある人や教師としてはあるまじき言動の人
- 「うざい」は嫌悪感、「嫌い」は、嫌いになる具体的な理由があって起きる感情
- 「好き」と「嫌い」は表裏一体 どちらも関心があるから生まれてくる感情 で同じエネルギーをつかっている
- こういう教師への対応は「うざい」教師と「嫌い」な教師とでは、おのずと違ってくる