還暦になった私が感じる人間の生きる価値についての話

目を手で塞いだときに見える赤さ終活

人間の価値について考えたことはあるでしょうか?

人間の価値を定める要素として、次のようなものがあげられます。資産、収入、学歴、容姿、コミュニケーション能力、功績などですね。思いつくところは人それぞれです。

ここでは人間の価値は、一つではなく見栄えの良い様々な能力や地位などがあり、それがどのくらい評価されているか、ということなのだと、ひとまず確認しておきます。

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見る角度によって異なる人間の価値

公園で仲良く手をつないでジャンプする家族

「資産」

どれだけ多くの資産を蓄積したかで価値が決まるのでしょうね。しかし、その資産をどういう方法で獲得したかによって価値はまったく0にもなります。脱税など不正な蓄財などですね。これは一方でそれを知らなければ評価をくだせません。

「収入」も「資産」と同様の傾向があります。

「学歴」

根底によく勉強して良い大学へ入ったことへの世間的評価があるからです。大学でどんな勉強をしたのかアルバイトばかりやっていたのかは埒外になります。

「容姿」

ほぼ生まれつきのものですが、絶対的な基準はありません。時代によって美の基準は変わりますし、個人の好みは千差万別です。

「コミュニケーション能力」

この能力が高いのにこしたことはないでしょうが、性格に依存することが大きく評価の基準にはなることはないでしょう。

「功績」

社会的に確かにこれはすごいと思わせるような功績はほとんどの人は持ち合わせていません。この面では大部分が一般人、普通の人です。

すべて相対的であり、誰かと比較することによって決まってくるものですね。ということは、比較することによってしか評価はできないということですね。何とも心もとない結末ですね。

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自分には人間としての価値はないのだろうか

遠くまで繋がる一本道

しかし、一番の問題は自分に価値があるかないかということですよね。「仕事が忙しく、ふとこのままで良いのだろうか、若いころには他にやりたかったことがあるのに…」「仕事ばかりか日常生活もうまくいかない、こんなことで良いのか、人生の意味って…」「あの人はいつも生き生きとしているのに、それに比べて私は… ほんとうに人間としての価値はあるのだろうか」

などと考えることが誰しもあります。だいたいはなにか困難にぶちあたった時ですよね。困難を乗り越えること、それが人間としてのひとつの価値ではないかと思います。

現代社会はストレス社会です。次から次へとストレスはやってきます。また自分自身でストレスをつくってしまうこともありますよね。

ストレスにあなたはどう対処されますか?

  • そのストレスの原因を探り、自分に足らなかったことを補い積極的に乗りえて行く
  • しらっとやり過ごす
  • 忘れてしまうように好きなことなどに打ち込む

などですか。ストレスを限界までため込むだけため込む人以外は上のような方法を意識的か無意識に行っています。

 なんのことはない誰もが価値ある人間なんです。

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最も大事なことは、決して自分を他人と比較しないこと

「隣の芝生は青い見える」、他人のものの方が良く見えるという英語の諺の和訳です。他人のことを羨ましく思ったり、嫉妬したりする時によく使いますね。あるいは自分のいいところはなかなか気づかないが、他人のいいところは気づきやすい。という意識でもあります。

人間は他人と自分をついつい比較してしまいます。時に自分の方が優れた点に気づき、ほくそ笑むかも知れませんが、大体は自分の方に劣っている点を発見して落ち込むことの方が多いと思います。

この比較するという行為で何か生まれてきますか。他人の優れた点に感心し学べるのであれば良いのですが、こういう時に自動的に生じる心理はほぼ後ろ向きのものです。

比較することは何も生み出しません。他人のことも自分のこともあるがままに受け入れ惑わされないことこそ価値のある態度です。

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まとめ

  1. 人間の価値を決定する要素は、常に相対的である
  2. 見方によって、人によってその価値は変わってくる
  3. 自分には価値がないと思うのは、困難にぶちあたるからだ それをどう乗り越えるかが価値を決める。
  4. 他人はよく見えるもの、決して比較しないことが重要
  5. 他人も自分もあるがまま受け入れることが、比較しないことになる。

地球上には70億人以上の人間が生きています。あなたもその一人です。唯一無二の存在です。このこと自体がとても価値のあることだと思います。