自分の好きなようにカスタマイズできるスマホは、その人の楽しい秘書と言っていい。
しかし、スマホの楽しさに夢中になればなるほど、新たな問題が起こることもありえるわけです。この記事では、親のスマホ依存がもたらすことについて書いてみようと思います。
スマホに夢中で子供への注意が疎かになっているのに気づかない親達
スマホがすみずみまで普及した現代社会では、どこに行っても、皆、頭を垂れてスマホの操作に夢中な親が多い(親に限らないが)。
通勤電車で座っていても一列殆どスマホで何かをしている。目立つヘッドフォンをかけてオンラインゲームをしている親までいる。レストランで食事が運ばれてくるまでの待ち時間、お互いに話もせずに自分のスマホに夢中である。
私は、親子連れが電車に並んで座っている光景をよく目にする。子供は靴を脱いで立ち膝の格好で流れる風景に目をやり、時々親の肩をたたいて「おとうさん、あれすごいよ!」と声をかける。
しかし、親は子供の方には顔は向けず、「あ、そうだね。」と一言でサラッと流す。この時も親のほぼ全ての神経はスマホの画面に向けられ依存しきっている。
そして、降りる駅に着いた途端、スマホを手に握りしめ、他方の手で「ほら、もう降りるから靴を履きなさい!」と言って電車を降りていく。
親の立場からすれば、子供の面倒はしっかりと見ているつもりになっているはずだが、子供は寂しく思うだろう。
子供にとっての親の存在は絶対的に信頼を寄せる相手だということを忘れてはいけない
子供にとって親は全てである。自分のことを常に守ってくれるし、一緒にいてくれると当然のように思っている。子供の自我は親との関係で少しずつ形成され人間関係を学んでいく。
さきほどの電車に乗っているシーンで考えると、子供と親とは確かに隣り合って座っている。しかし、子供が声をかけても、親は自分の方を向いてくれない。つまり、無視されていると感じてしまう。
このような関係が何度も続いてしまうと、子供は、「おとうさんは、ぼくのことなんてどうでもいいんだ。」と感じるようになり、信頼関係にヒビが入り始める。自分のことを守ってくれないと感じるようになってしまう。
子供はまだ言葉を知らず、どのように伝えれば良いか分からなくなる。親は表現力が拙い子供の気持ちを推し量ることができずに、自分の関心事にばかり注意を配るので、最終的に信頼関係は崩壊してしまう。
表現力に乏しい子供は、何とかして自分を守ってほしい、関心を寄せてほしいとの一心で、自傷行為に走ったり、心を閉ざして一切口を聞かなくなったりして、自我形成に大きな影響を及ぼすことにも繋がるかもしれない。
スマホと子供、本当に大事なことはどっち?
そのような光景を何度も見るにつけ、大人(特に子供を持つ親)の立場の人間によく考えてほしい。何が一番大事なのか?と。
親子関係でも、夫婦関係でも、社会での商いの関係でも、信頼関係が一番である。何らかの形で信頼関係にヒビが入ると、それを修復するために多大なエネルギーと時間とを要することになる。
親にとってスマホは貴重な息抜きの時間なのかもしれないが、そんなことで子供との心の距離はどんどんと遠くなって見えなくなってしまわないだろうか?
試しに自分が子供だった頃を思い出してほしい。スマホを使うことを責めているのではなく、その時間で一番大事なものは何かを真剣に考えれば、答えは自明なはずである。
親のスマホ依存問題まとめ
この記事では、親のスマホ依存がどのような影響をもたらすのかについて考えてみました。
・子供との時間を共有せずに、スマホに依存していないか思い返してほしい。
・子供の自我形成は親との関係で形成されていくため、親のスマホ依存により、親子関係が崩壊する。
・子供と一緒にいる時を含め、その時間で何が一番大事なのかを考えて行動してほしい。
子供は未来の宝と言われるが、それを宝にするもしないも親の接し方で決まる。
便利で楽しいスマホですが、子供に関心を寄せないと良い信頼関係は気づけませんよね!